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INTERVIEW

「月刊食堂」1965年3月号「若い調理師のために」より

師を選び、厳しくはげめ

陳 建民氏(四川飯店 創業者)
 
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頼りになるのは自分の腕

 この道に入ったのが13歳のときだから、もうだいぶになる。今までの三十年余りの間、いつも料理する気持ちほ同じで、厳しいものだと思ってきた。ただ、お客の求めに応じて求められるままに材料を適当に煮焼きして作ればすむというものではない。
 私は、もともと食べることが好きだったが、食物に対する興味が小さいときから強かった。色美しく飾られ、室中をおいしそうな香で満たしてしまう大皿にもられた料理に魅せられたのである。そしてこの道に入ることになったのである。
 単に栄養を摂るために食事するというのが日本人の一般的な考え方であるが、中国では、「食べる」ということはその料理を眺めて楽しみ、味わい、その材料の使い方を研究することを意味している。できあがった料理は料理人が腕を振るって作りあげた一つの芸術作品なのである。料理人の料理する態度は画家の絵を描く態度なのである。
 私の修業時代を振り返って、まず思い出すことは、その厳しさであった。私がこの道に入った当時の中国には、日本の徒弟制度に似た制度があり、老師(日本の先生にあたる)の下で、三年間奉公して、その間、夏冬一着ずつ衣服をもらうだけで、現在のように給料をもらうことなど考えられなかった。老師と弟子の関係は親子の関係を結ぶことであり、老師は自分の子供として厳しく教育するのが普通であった。三年間の修業を終えて老師に認められ、「工会(ごんほい)」という料理人組合入会を許されてはじめて一人前の料理人として店をもつことができた。この修業中には、老師の教え方は厳しくぶたれてつらい思いもした。しかし一人前になって頼りになるのは自分の腕であり、腕次第でどうにでもなる。そこで一にも二にも仕事を覚えることであった。
 今の若い人の多くは、給料とか労働時間とか休暇の有無が第一の関心事であって、どんな先生につくか、その先生のもっている技術の程度は如何など問題ではないように思われる。適当に技術を覚えて早く店を持ちたい、そんなふうに考えているのではなかろうか。
 私は、今までの経験から、習うときは一人の師を選んでみっちりはげめ、修業中に苦しめばそれだけのことはある。途中で苦しさから逃げだしては何にもならない。師の言を聞き、自分で研究を怠るな、料理以外のことに熱中するな、といいたい。

料理は芸術作品

 私は、中国料理は世界一の料理だと思っている。作る人の腕次第で芸術の域にまで高めることができるのである。また中国料理のもつ微妙さを生かして料理するということを私はいつもいう。このことは料理の原理に基づいて作られた料理である。その原理とは、材料と材料の持ち味の調和、不調和。色と色の調和、不調和、さらに栄養学的配慮、材料とその味付けの調和、不調和である。この原理にかなった料理が微妙さを具えた料理で色、香、味の三つが調和した料理なのである。
 日本には、中国の東西南北の料理、北京料理、上海料理、広東料理、四川料理が入ってきて、それぞれが特性を失って、日本化された中国料理になっている。
 このことを私は大へん遺憾に思う。やはり「本場の味」を保持していくべきだと思う。私の専門とする料理は四川料理だが、私は、本ものの四川料理を日本中に広めたい。
 これから中国料理を覚えようとする人は、亜流の中国料理ではなく、「本場の味」を料理する師につくべきてある。このことから、当然要求されるのが、中国語をマスターすることである。中国語を知らずして中国料理を理解し料理することなど不可能である。
 料理人を志す若い人々は、師を選び、誠心誠意、厳しくはげむことである。