TOP > あの時、あの人の名言一覧 名言一覧 小堀正次氏 生麩 麩嘉〈京都・西洞院通〉 主人 もっと素直に柔軟な発想で〝麩〟を捉える 生麩作りの老舗「麩嘉」の創業年は、正確には不明。幕末の動乱期に一帯が火災に遭い、それ以前の経緯を示す資料類がいっさい、焼失してしまったからである。それでもながく京都御所の御用達をつとめ、その門鑑は残っていて慶応年間と刻んであった。そこで、そこから下って代を数え、小堀氏は六代目になる。… 杉野英実氏 イデミ スギノ オーナーシェフ 料理人感覚で自分の味をつくり続けたい 1992年7月、杉野英実氏は、自分の名前をつけた店(パチシエ イデミ スギノ〈神戸・北野〉・現移転)をオープンした。はじめての自分の店だ。15~18種類あるこの店の生菓子には、いわゆる定番やどこにでもあるようなケーキは、ひとつもない。独創的なケーキばかりが並ぶ。スーボワ、アンブロワジー、パレノワ…。… 中江隆一氏 さくら肉料理 中江 主人 馬肉が高くなっても満足感は提供したい まだ遊廓のさかんであった頃、浅草・観音裏から千束通りを抜けて吉原土手にさしかかると、さくら鍋屋がずらりと軒を並べていたという。が、昭和ニ〇年の戦災を堺に、下町に灯を連ねたさくら鍋屋は散り散りとなり、あるいは廃業し、「中江」ただ一軒が孤塁を守ることとなった。 … 日高良実氏 元・リストランテ山崎 料理長〈当時33歳〉 豊かな素朴さに託すイタリア イタリア料理に携わっている人間にとって、フランス料理という世界は常に頭のどこかでチカチカと信号を送ってくる気になる存在のもののようです。少なくとも私自身の中ではいつもフランスとイタリアとが背中合せの関係で、イタリア料理に向かっている時にも常にフランス料理が顔をのぞかせてきました。… 渥美俊一氏 経営コンサルタント 暮らし革命の実現こそが外食産業の使命 生活密着型産業であるところの食堂業においては、その企業としての評価は、〝どれだけ日本人の暮らしを変えたか〟ということを唯一無二の評価基準とするべきである。そうした観点から食堂業を見てみると、すでにできている社会的貢献がひとつある。それは、産業化がはじまる以前にはなかった、より文明的なライフスタイルを人々に提供できたことである。… 道場六三郎氏 ろくさん亭 主人 つねに戦いに挑む気概を持つ 女三人、男三人の六人兄弟の末っ子だから六三郎と名づけられたという道場六三郎氏は、昭和六年に石川県江沼郡山中町に生まれた。山中は漆器の町である。道場氏の実家も茶道具を中心に制作する漆器店を営んでおり、幼いころからウルシを塗り、蒔絵を描くという環境の中で育った。 … 外山新吉氏 だんご 言問団子 主人 隅田川の景色は変われど団子は変えない 田川縁、向島界隈が大名の下屋敷町だった江戸時代、外山家は屋敷出入りの庭師を業としていた。が、維新の動乱による時代の変革に早々と見切りをつけた親方は、潔く庭師の屋号を捨て、団子を商う茶店に転身した。それが「言問団子(ことといだんご)」のそもそものはじまりである。… ギー・サヴォワ氏 レストラン ギー・サヴォワ シェフ トロワグロとの出会いが今の私を作った ギー・サヴォワの母親は、リヨン郊外で小さなレストランを経営していた。そうした環境で育ったサヴォワが、料理に対する興味を小さいうちから持っていたことは何の不思議もない。とにかく料理人になりたかた少年ギーは、まずニースのホテル学校の入学試験を受けたのだが、残念ながら落ちてしまう。ちょうどその頃、母親の友人がトロワグロ兄弟を紹介してくれるという幸運が飛び込んできた… < 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 > 老舗の主人はリレーランナー 山ばな平八茶屋 20代目主人 園部 武氏 味のコントラストを皿の上で表現 ヴィッサーニ(イタリア) シェフ ジャンフランコ・ヴィッサーニ氏 他人の料理を通して自分の料理を見直せ 元プティ・ポワン オーナーシェフ 北岡尚信氏 皿の上にドラマがあってもいいじゃないか ラマージュ オーナーシェフ 依田輝明氏 そばってのは粋に食うものですよ そば店 巴町砂場 店主 萩原長昭氏 転職に次ぐ転職を支えた“独立”への情熱 モスフードサービス創設者 桜田慧氏 日本料理は和音のようなもの 京都・中村楼 11代目 辻 重光氏 夢を賭けて、フランスに挑む ステラ・マリス〈パリ8区〉 オーナーシェフ 吉野 建氏 サイトマップ|プライバシーポリシー|著作権について|お問い合わせ|広告・バナーについて
名言一覧 小堀正次氏 生麩 麩嘉〈京都・西洞院通〉 主人 もっと素直に柔軟な発想で〝麩〟を捉える 生麩作りの老舗「麩嘉」の創業年は、正確には不明。幕末の動乱期に一帯が火災に遭い、それ以前の経緯を示す資料類がいっさい、焼失してしまったからである。それでもながく京都御所の御用達をつとめ、その門鑑は残っていて慶応年間と刻んであった。そこで、そこから下って代を数え、小堀氏は六代目になる。… 杉野英実氏 イデミ スギノ オーナーシェフ 料理人感覚で自分の味をつくり続けたい 1992年7月、杉野英実氏は、自分の名前をつけた店(パチシエ イデミ スギノ〈神戸・北野〉・現移転)をオープンした。はじめての自分の店だ。15~18種類あるこの店の生菓子には、いわゆる定番やどこにでもあるようなケーキは、ひとつもない。独創的なケーキばかりが並ぶ。スーボワ、アンブロワジー、パレノワ…。… 中江隆一氏 さくら肉料理 中江 主人 馬肉が高くなっても満足感は提供したい まだ遊廓のさかんであった頃、浅草・観音裏から千束通りを抜けて吉原土手にさしかかると、さくら鍋屋がずらりと軒を並べていたという。が、昭和ニ〇年の戦災を堺に、下町に灯を連ねたさくら鍋屋は散り散りとなり、あるいは廃業し、「中江」ただ一軒が孤塁を守ることとなった。 … 日高良実氏 元・リストランテ山崎 料理長〈当時33歳〉 豊かな素朴さに託すイタリア イタリア料理に携わっている人間にとって、フランス料理という世界は常に頭のどこかでチカチカと信号を送ってくる気になる存在のもののようです。少なくとも私自身の中ではいつもフランスとイタリアとが背中合せの関係で、イタリア料理に向かっている時にも常にフランス料理が顔をのぞかせてきました。… 渥美俊一氏 経営コンサルタント 暮らし革命の実現こそが外食産業の使命 生活密着型産業であるところの食堂業においては、その企業としての評価は、〝どれだけ日本人の暮らしを変えたか〟ということを唯一無二の評価基準とするべきである。そうした観点から食堂業を見てみると、すでにできている社会的貢献がひとつある。それは、産業化がはじまる以前にはなかった、より文明的なライフスタイルを人々に提供できたことである。… 道場六三郎氏 ろくさん亭 主人 つねに戦いに挑む気概を持つ 女三人、男三人の六人兄弟の末っ子だから六三郎と名づけられたという道場六三郎氏は、昭和六年に石川県江沼郡山中町に生まれた。山中は漆器の町である。道場氏の実家も茶道具を中心に制作する漆器店を営んでおり、幼いころからウルシを塗り、蒔絵を描くという環境の中で育った。 … 外山新吉氏 だんご 言問団子 主人 隅田川の景色は変われど団子は変えない 田川縁、向島界隈が大名の下屋敷町だった江戸時代、外山家は屋敷出入りの庭師を業としていた。が、維新の動乱による時代の変革に早々と見切りをつけた親方は、潔く庭師の屋号を捨て、団子を商う茶店に転身した。それが「言問団子(ことといだんご)」のそもそものはじまりである。… ギー・サヴォワ氏 レストラン ギー・サヴォワ シェフ トロワグロとの出会いが今の私を作った ギー・サヴォワの母親は、リヨン郊外で小さなレストランを経営していた。そうした環境で育ったサヴォワが、料理に対する興味を小さいうちから持っていたことは何の不思議もない。とにかく料理人になりたかた少年ギーは、まずニースのホテル学校の入学試験を受けたのだが、残念ながら落ちてしまう。ちょうどその頃、母親の友人がトロワグロ兄弟を紹介してくれるという幸運が飛び込んできた… < 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 >
老舗の主人はリレーランナー 山ばな平八茶屋 20代目主人 園部 武氏 味のコントラストを皿の上で表現 ヴィッサーニ(イタリア) シェフ ジャンフランコ・ヴィッサーニ氏 他人の料理を通して自分の料理を見直せ 元プティ・ポワン オーナーシェフ 北岡尚信氏 皿の上にドラマがあってもいいじゃないか ラマージュ オーナーシェフ 依田輝明氏 そばってのは粋に食うものですよ そば店 巴町砂場 店主 萩原長昭氏 転職に次ぐ転職を支えた“独立”への情熱 モスフードサービス創設者 桜田慧氏 日本料理は和音のようなもの 京都・中村楼 11代目 辻 重光氏 夢を賭けて、フランスに挑む ステラ・マリス〈パリ8区〉 オーナーシェフ 吉野 建氏
もっと素直に柔軟な発想で〝麩〟を捉える
生麩作りの老舗「麩嘉」の創業年は、正確には不明。幕末の動乱期に一帯が火災に遭い、それ以前の経緯を示す資料類がいっさい、焼失してしまったからである。それでもながく京都御所の御用達をつとめ、その門鑑は残っていて慶応年間と刻んであった。そこで、そこから下って代を数え、小堀氏は六代目になる。…